福島第1原発事故が起きた時、今の私より5、6歳くらい年上の先輩が、
「まさか自分が生きている間に、こんなことが起こるとは思わなかった」
と、呟いたのをよく記憶しています。
その時の私はまだ若く、そんな風には思わなかったけど、今その人の年齢とちょっと近くなったせいか
心の中では驚天動地の思いと共に呟いております。
「まさか自分が生きている間に、映画みたいなパンデミックが起こるとは思わなかった」
もちろんこれまでも、新型インフルエンザとかSARSとか、恐怖を感じることは多々ありましたけど、
今回はケタが違うといいますか…
それが時代のせいなのか、ウイルスの質のせいなのかは、後の分析で明らかになるのでしょうが。
あ、でも正確に言うと、「起こるとは思わなかった」というのは間違いですね
いつ起きても不思議ではないことを認識しつつも、「起こらないだろう」と楽観していたといった方が正しい。
新型が流行り始めた頃、色んな最悪の状況を想像して恐怖に震えましたけど、その最悪の状況ではないことも確か。
私にとって、この手のことで最も恐ろしかったのは、エボラの時です。
その頃は毎日whoのサイトをチェックして、恐怖に震えていましたからね。
それでなにも手につかなかった。今から思えばアホみたいですけど。
恥ずかしながら、妄想力がたくましすぎる私は、原発事故の時、将来を憂いすぎて全く小説が書けなくなりました。
当時、web作家何人かでボランティアで小説を出そうみたいなお話があって、私にもお声がけいただいたのですが、全く書けずにお断りしたことがあります。
その頃の私がどれだけおかしかったかと言えば、食事がとれなくなって、体重が激減。
眠れずに毎晩明け方まで韓国ドラマを見てました。
私がノイローゼっぽくなったので、家族も、家ではニュース系のテレビを一切つけなかったくらいです。
でも、これまた今にして思えばですけど、私の過剰な不安と、結果的にそれが杞憂だったことの分かれ目は、まさに紙一重だったわけでして。
ちなみに私がなにを想像して怯えていたかといいますと、東日本に人が住めなくなる事態です。
ただ、こんな風に毎度毎度不安に押し潰されてきた過去を振り返って思うのは、
「私が不安に思おうが思うまいが、世界にはなんの影響もない」ということ。
つまり、何も変わらないなら、不安に思わず生きていくのが楽だってことです。
言葉を変えれば、「世界がどうなろうと、私にはなんの影響もない」とも言えます。
もちろん物理的にはあると思います。
コロナに関して言えば自分や家族が罹るかもしれませんし、仕事にも多大な影響が出るでしょう。
今想像している以上の悲劇に見舞われるもこともあるだろうし、
世界不況でこれまでの生活の何もかもも変わってしまうかもしれない。
何もかも楽観せずに、正しい知識を常に更新し、その時に備えておくのはとても大切なことだと思います。
でも、私という個人のパーソナリティは、そこに影響を受けずに生きていくことは可能だと言うことです。
いや、そうありたいと願って、今日も自分のできることを精一杯やりたいと思います。
2020年03月29日
大変な時代に思うこと
posted by 石田累 at 06:16| Comment(3)
| 日記
私も東日本大震災でいろいろと考えさせてられた1人です。
その後、何か出来ないかと模索して、少しずつですが自身でやれることをコツコツとを合言葉にして過ごしてます。
過剰に不安になる必要はないですが、後悔しないように過ごしたいですね。
話は全然変わりますが、自宅で過ごす時間が増えて、久しぶりにネット小説を振り返ってました!
初恋夫婦やっぱり面白いなぁ、と思った次第です。
どこかで、やっぱり人は繋がってると思いますよ。こんな風に。
続き楽しみにしております^ - ^
ブログにコメントって、めちゃめちゃ久しぶりだったので、気づくの遅くなってすみません。
私も、平静にすごそう、自分にできることを淡々とやっていこうと思いつつも、日々の報道に心がかき乱され、不安に苛まれる夜もあります。
ネット小説、いまこそ出番じゃないかとものすごく思ってます。
時間みつけてちょっとずつでも書いていきたい、ていうか、何もおそれずにガンガン書けていた30代の情熱を取り戻したいですね。
読んででいただいてありがとうございました。
日々の報道の過熱は、やっぱり気になりますよね^ - ^
私も30代はガンガン仕事してきましたが、40代になると色々考えます(笑)
是非、気持ちの負担になることなく、楽しみにしている読者がいるんだということだけ思っていただけると嬉しいです。